☆ ☆ ☆ てんしょうと申します。 うちの二人姉妹がきっかけで、天の声が聞こえる様になりました。 このブログを立ち上げたのも、天の声の後押しがあったからです。 天の声とてんしょう、プリプリ姉妹の、スピリチュアルな日々の出来事を綴っていきたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いいたします(*^-^*)☆ ☆ ☆  

思い出の スポーツ

一昨日から、冬のスポーツの祭典、平昌オリンピックが始まりましたね。


皆さまの中にも、楽しみになさっていた方が多くいらっしゃると思いますが、てんしょうはやはり、今てんしょうが住んでいる、この仙台出身、羽生結弦選手のフィギュアスケートを楽しみにしています。

16日の個人戦が、昨年11月にケガをしてからの復帰戦になるそうで、その日はてんしょうも応援したいと思っています。




冬のスポーツといえば、てんしょうも中学生位から10年間程、スキーをしていました。

大人になってからのスキーは、お天気の良い日、リュックにワインを入れて山頂まで上がり、瓶を雪の中に突っ込んで冷やし、美しく雄大な景色の中、みんなでカンパイした事を思い出します。

また春スキーでは、ヘリコプターに乗って、雪のある山頂まで上がり、滑ってくるという事もしていました。

丁度、" 私をスキーに連れてって " という、バブリーなスキー物語の映画が流行っていた頃でもありました。

懐かしいです。





そして、てんしょうにとってもう一つ、懐かしいスポーツというと、高校時代にしていた弓道です。

部活動として、弓道部に入部していたのです。

入部してしばらくすると、女優 富田靖子さん主演の " アイコ 十六歳 " という、女子高生弓道部物語の映画が公開され、一時、流行っていました。


最初は、弓道なんて言葉も知らなかったのですが、一緒に登下校していた友達が、弓道部に入部を決めたというので、じゃあ自分も、という軽い気持ちで入りました。


そこには、自分の意思が無いので、あまり楽しいものではありませんでした。



そんな気持ちで部活をしていたある時、昇級・昇段試験を受ける事になりました。


初めての試験でしたし、会場にはお年を召した強面の審査員の方々がおられ、緊張していた事もあり、あまり自分に期待はしていませんでしたが、自分の番が来るまではドキドキでした。


そして、自分の番が来ました。


緊張はしていたのですが、不思議とドキドキは無くなっていました。


矢と弓を持ち、静かにすり足で道場の立ち位置まで進みます。

自分が射る番が来たら、射法八節という所作を行います。

「 足踏み・胴造り・弓構え・打起し・引分け・会・離れ・残身 」

これは、弓を引いて矢を射るまでの所作ですが、この所作を一連の流れとして行います。



引分けで弓を引き、会で矢じりを的に定め、離れで矢を放ちます。



この時は、周りの音が一切聞こえていません。

無心です。




" パンッ‼︎ " 




静まり返っている道場に、乾いた音が響きました。

的に当たったのです。

自分でも驚きでした。




試験では2本の矢を射るのですが、この一本目の矢が当たった事で、自分に期待していなかった分、うろたえてしまいました。


無心状態から、またドキドキが始まり、結局2本目は大きく外してしまいました。


こっちがホントの自分だと思いながら、道場を後にしました。

 


日本のスポーツ、いわゆる武道を行う道場には、神棚に神様が祀られています。

弓道場にも神棚がありました。

試験の時、てんしょうをお守りくださっている神様が、てんしょうにおチカラを授けてくださっていました。

無心になり、集中できたのも、神様のおチカラのおかげでした。



2本目の失敗は、てんしょうの中にいた悪しき者達が、1本目の的中に焦り、そうはさせないとザワザワし、てんしょうの集中力が切れてしまったからでした。

1本目が当たって、うろたえていたのは、てんしょうではなく、てんしょうの中にいた悪しき者達だったのです。


これは、天の声が教えてくださった事です。



試験の結果は、初段合格でした。

一緒に受けた人の中には、2級合格や1級合格の人もいたので、やはり1本目の的中が効いていたのだと思います。


てんしょうにおチカラをお授けくださった神様方もお喜びだったそうです。


また、てんしょうが、日本古来の武道である弓道をする事になったのも、偶然ではなく、神様がその様に導いてくださったのだそうです。






ちなみに、小学生のプリプリ姉妹も、授業の一環として、月に2回ほどのクラブ活動があります。

2人揃って " サイエンス クラブ " に入っていました。

お風呂の入浴剤やスライム、ロウソクなどを作ってきては、その材料や作り方を楽しそうに教えてくれます。

そんなプリプリ姉妹は、中学・高校では何部に入るのかしら、と楽しみな母てんしょうです。




皆さまは、青春時代、何部に所属されていましたか?

皆さまも、アオハルな思い出を辿ってみてくださいませ。





これはお祭りの射的です。

プリ子、一発当たって、景品をゲットしていました。

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☆ てんしょう おすすめのひとしな ☆

てんしょうも弓道部時代、この表紙の子達の様に、袴をはいて競技していました。

懐かしい思い出です。
ご興味のある方、一度ご覧になってくださいませ。

                  ☆ てんしょう ☆

羨む心  妬む心  そして・・・

例えば、知人が努力の末、ある成功を収めたとします。


それを羨む人がいます。

羨む心には、次があります。

その知人の様に、自分もそうなる様にと努力をするのです。



また、妬む人もいます。

妬む心には、僻む心も憎む心もあります。

そして、次がありません。

知人の様になろうと思うどころか、その知人の成功を認めず、僻みます。

更には、その知人を憎み、足を引っ張ろうとするのです。



上記の例え話は、実際にあったお話です。



一昨日、" 霊格 " の話を書きました。

では、" 霊格 " の高い人はどうでしょうか。



" 霊格 " の高い人は、人の成功を心から喜びます。

その人の努力あっての事と、理解をしています。

人の幸せを素直に受け入れられるのです。





今のてんしょうはどうだろうと想像しました。

てんしょうは、その人を羨ましいと思うかもしれません。

でも、" すごいな " って思い、 " おめでとう " と言ってるかな?と思いました。

けれど、てんしょうの中に悪しき者達がいた、あの頃だったら・・・。

( 過去記事 " てんしょうの中にいた者達 2017.11.6〜2017.11.10 " をご覧くださいませ。)





身体の中から悪しき者達がいなくなった今のてんしょう、まだまだ修行の途中ですが、人様の幸せを心から喜べる様な人間になっているでしょうか。 ・・・神様。

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☆ てんしょう おすすめのひとしな ☆

最近、テレビでも何度か紹介されていたのですが、80年前に書かれたものを漫画化したのだそうです。

てんしょうはまだ読んでいませんが、いじめ、貧困や格差などの問題が書いてあるそうで、現代にも通じる内容になっています。

一冊購入して、プリプリ姉妹と読んでみたいと思っています。


皆さまも お読みになりませんか?

              ☆ てんしょう ☆

漫画家  手塚治虫先生

てんしょうが幼い頃、" 鉄腕アトム " が好きでした。

歯みがきコップにも、アトムの絵が描いてあったのを覚えています。



3日ほど前、プリ子の宿題の音読を聞いていたのですが、国語の教科書の " 手塚治虫 " という題名でした。

手塚治虫先生の伝記が教科書に載っているのです。



手塚治虫先生は、昭和3年、大阪に生まれ、その後、兵庫に移られました。

幼い頃から絵を描く事が好きで、図画が得意だったそうです。

小学生の頃、イジメを受けていましたが、得意な絵や漫画を描き、イジメをする子達に見せたり、描いてやったりする事で、イジメが無くなっていきました。

3年生の時の担任の乾秀雄先生という方には、「 漫画家になれるかもしれないよ。」と言われ、この言葉により、自信と勇気を与えられたそうです。


中学生の頃に、戦争が始まり、空襲などの辛く苦しい経験もされています。

その時の大変な体験も、作品に反映されています。


中学卒業後、医師になる学校に通いながら、漫画を描き、新聞に連載を始めたり、漫画本を出したりしていたのですが、医師の勉強と漫画家の両立が難しくなりました。

その事を母親に相談すると、「 では、漫画家になりなさい。人間は、好きな道をまっすぐに進むのがよいのです。」と言われ、漫画家として生きる事を決意したのだそうです。



3年生の時の担任の乾先生やお母さんという方々は、手塚治虫先生にとって、漫画家になる後押しをしてくれた、大きな存在だったと思います。


その後、手塚先生は、漫画だけでなく、アニメーションにも力を注がれました。

今や、アニメは日本の文化として、世界中に知られていますが、手塚先生の力が大きく影響しているのだと思います。



以前、1994年公開のディズニー映画「 ライオン キング 」が、手塚治虫先生の1960年代作品 「 ジャングル大帝 」に酷似しているという問題が上がりました。

手塚先生は、1950年代に日本で公開されたディズニー映画 「 バンビ 」を観る為、映画館に何度も足を運んで、初日に7回、計80回も鑑賞し、それによりアニメの作り方を研究していたという事がありました。

そういった事もあり、手塚プロダクションの方は、この酷似問題に対し、「 もし手塚本人が生きていたら、" 自分の作品がディズニーに影響を与えたというのなら光栄だ " と語っただろう 。」という声明を出し、事がおさまりました。

てんしょうはこの騒動の顛末を知り、手塚プロダクションの方は手塚治虫先生の心も受け継いだのだと思いました。






本の好きなプリ江は、たまに学校の図書室から手塚先生の漫画本も借りてきています。

「 ブラックジャック 」「 ブッダ 」「 火の鳥 」「 鉄腕アトム 」。

「 ブラックジャック 」は、てんしょうも中学生の頃に読んだ覚えがあり、懐かしさでプリ江から借りて読みました。

医師を目指していた方なので、手術の場面もリアルに描かれていて、子どもの頃読んだ時に、衝撃を受けた覚えもあります。



アニメでいえば、てんしょうは 「 リボンの騎士 」が好きでした。

女の子の心と男の子の心を持つサファイアという王女の物語でしたが、騎士として戦う姿がカッコいいと思い、羨望の眼差しで観ていました。


他にも 「 マグマ大使 」や「 三つ目がとおる 」「 海のトリトン 」「 ワンサくん 」「 ふしぎなメルモ 」・・・、ちょっと思い出しただけでも、こんなに出てきます。




何十年経っても心に残っている、今でも子ども達に読まれ続けている、沢山の素晴らしい作品を残された手塚治虫先生は、平成元年の今日、お亡くなりになりました。
  

60才という年齢でしたが、亡くなるその瞬間まで、漫画を描こうとされていたそうです。




その手塚先生、天の声によりますと、既に転生されており、将来、また同じ様なお仕事をする事になるでしょうとの事でした。

漫画を描く事が、魂レベルでお好きなのだと思いました。





余談ですが、その昔、手塚治虫先生をはじめとする有名な漫画家の方々が、若い頃お住まいだった " トキワ荘 " という木造アパートがありました。

その場所の近くに、以前、てんしょう家族は住んでいました。

既にそのアパートは取り壊されて、無くなっていますが、その近くの公園には、記念碑が建てられています。

記念碑には、当時 " トキワ荘 " に住んでいらっしゃった漫画家の先生方の、似顔絵とサインが刻んであります。

( 東京都豊島区立南長崎 花咲公園の一角にあります。)

その公園には、幼いプリプリ姉妹を連れて、よくお散歩に行っていました。






下の写真は、プリ子の国語の教科書です。

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☆ てんしょう おすすめのひとしな ☆

手塚プロダクションが選ぶ、" 今こそ読むべき 珠玉の11作品 " 。

是非、読んでみたいと思います。


皆さまも お読みになってみませんか?

                ☆ てんしょう ☆