今から24年前の1995年1月17日、神戸市中心部などで震度7が観測される大地震、" 阪神・淡路大震災 " がありました。
当時、一人暮らし ( 場所は名古屋 ) をしていたてんしょうは、明け方の数分に渡る震度3程の地震に、気味の悪さを感じておりました。
出社すると、皆テレビに釘付けになっており、後ろから覗くと、そこにはリアルタイムで被災地の惨状が映し出されていました。
それは、地獄絵図の様に恐ろしく、目を背けたくなる様な映像でした。
その大震災から僅か2週間後、天皇皇后両陛下は、被災地に降り立っていらっしゃいました。
皇后陛下 美智子様は、皇居に咲いていた水仙の花を17本の束になさり、焼け跡の広がる神戸の街に、そっと手向けられました。
偶然と思われますが、その水仙を手向けられた場所は、花屋さんの店舗だった所だそうです。
その水仙の花束そのものは、今も神戸布引ハーブ園にてエバーフラワー ( ドライフラワーの様なもの ) になり、展示されているそうです。
また、その水仙の花束の置かれた場所は " すがはらすいせん公園 " となり、その一角に、水仙の花束の形そのままのモニュメントがあるそうです。
皇后陛下 美智子様の御心のこもった、水仙の花束。
時は流れ、2011年3月11日。
その日起きた東日本大震災は、仙台に引越して2か月足らずのてんしょう家族も被災しました。
( 過去記事にも書かせていただいております。
2017.9.25 " タロットカードと3.11" 、2017.9.26 " 3.11 津波 " 、2017.9.27 " 震度7と神様 " をご覧くださいませ。)
水仙の花に纏わるお話は、この東日本大震災に続きがありました。
津波被害の酷かった被災地に降り立たれた天皇皇后両陛下は、避難所へと向かわれました。
その避難所に身を寄せておられた女性が、皇后陛下 美智子様に「 この水仙の様に私達も頑張ります。」 と、水仙の花束を差し出されました。
その水仙の花は、津波で流された自宅跡に咲いたものでした。
美智子様は「 ちょうだいできますか?」と仰り、その水仙の花束を大切にお持ちになり、帰られたそうです。
被災者の方の心に、そっと寄り添ってくださるそのお姿に、涙が出ます。
平成も残り僅かとなりました。
天皇皇后両陛下には、退位の後、ごゆっくりとお過ごしなされます様、心よりお祈りさせていただきたく存じます。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
あまりのピュアに涙が出るなぁ・・って
思う時があります。
話は変わって大阪に言った時の感想です。
「白い息が出る!!」って私ずっと興奮してました。
ずっと、はぁはぁ言いながら歩いていました。
(*´Д`)
沖縄で白い息なんて10年に一度、
明け方の数分間あるかないかのレアものです。
てんしょうさんの所では
寒いと白い息はもっと濃くなりますか?
子供みたいな質問でごめんなさい^^