時々、神様とお話できなくなる時があります。
そういう時、悪しき者達が、神様のフリをして、話し掛けてきます。
ですが、てんしょうも、神様か、そうでないかが、分かる様になってきているので、話には乗りません。
しばらく、チカラのスイッチを切っていると、ふとした時に、神様と繋がります。
悪しき者達は、常に、" 肉体を持つ人間に取り憑いて、肉体を乗っ取ってやろう " と、あちこちをさまよっています。
てんしょうの様に、目に見えない存在を認識できる人間は、恰好のターゲットになるのです。
てんしょうの場合、神様方からの手厚い守りがありますので、たとえ悪しき者達から話し掛けられても、取り憑かれる事はありません。
" 神様とお話ができない時 " というのは、" 神様方が、てんしょうにチョッカイを掛けてくる大勢の悪しき者達を、然るべき所へと送っている時 " なのでした。
てんしょうも、いつもいつも、神様方にばかり負担は掛けられないと思い、お塩などを持ち歩いたり、浄化をしたりと、自己防衛をしております。
それでも悪しき者達は、スキあらばと近寄ってきて、結果、神様方から罰を受けます。
他人の身体なんかアテにせず、サッサと成仏して、生まれ変われば良いものの、けれど、実際の人間にも、人様のモノを欲しがる者がいる事に気付きました。
きっと、そういう者が、死んで魂だけの存在になった時、この世に執着して、欲しがる性格はそのままに、他人の身体を欲しがって、この世のあちこちをさまよい、人様に取り憑いてしまうのだと思います。
言葉は悪いですが、" バカは死んでも治らない " は本当なのだと、逆の意味で、感心してしまいました。
せっかく、この世に生まれ出る事ができたのに、この世を謳歌せず、人様を羨み、妬み、人様のモノを欲しがり、挙げ句の果て、死んでまで、人様の肉体を欲しがるなんて、と思います。
肉体を持ち、人間としてこの世に生きていても、肉体を離れ、この世の者でなくなっても、魂の性格は、基本、変わらないのだなぁという事が分かりました。
神様とお話しできない時、お話が途切れてしまう時、時々あります。
腹は立ちますが、それだけ、成仏できない者達が多いというのも分かります。
生き辛い世の中を生きていたのですから。
だからこそ、生き辛いこの世にいる内に、心を鍛え、自分を強く持ち、相手の気持ちを察する事のできる様な思い遣りのある人間になりたいものです。
神様、いつも、私達人間をお守りくださり、ありがとうございます。
心より、感謝申し上げます。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。