天の声とてんしょう

☆ ☆ ☆ てんしょうと申します。 うちの二人姉妹がきっかけで、天の声が聞こえる様になりました。 このブログを立ち上げたのも、天の声の後押しがあったからです。 天の声とてんしょう、プリプリ姉妹の、スピリチュアルな日々の出来事を綴っていきたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いいたします(*^-^*)☆ ☆ ☆  

地震とコロナの ダブルパンチ

先月13日の余震に続き、今日も18時9分に、宮城県沖、震度5強、マグニチュード7.2の地震に襲われました。


おまけに先日、宮城県と仙台市に、独自の緊急事態宣言が発出されました。

今月18日から4月11日までの自粛になります。


地震とコロナのダブルパンチです。


今夜も居間に毛布を持ち込んで、プリプリ姉妹と3人でかたまって寝ます。


今もまだ、小さな地震があります。

いつでもすぐに出られる様に、リュックに食料や水、ランタン等を詰め込んで、最悪の場合、車の中で一晩過ごせる様に、寝袋を積んでおります。


もう、マイリマシタ。


こんな弱音を吐いている、情けないてんしょうに、神様がお言葉を掛けてくださいました。


「 てんしょうさん、心配なさる事はございませんよ。
てんしょうさんもお子達も、必ずお守りいたしますから、ご安心なさいな。」


神様のお言葉で、どれだけ心が救われることか。

10年前の東日本大震災の時も、まだ目に見えない存在の方の声が、聞こえていなかったてんしょうとプリプリ姉妹に、一生懸命に話し掛けてくださっていたのだと思います。


地震やらコロナやら、なかなか心休まる事はなりませんが、" 絶対大丈夫 " と言い聞かせ、心を強く持ちたいと思います。



今回の地震でも、怪我をされた方がいらっしゃるそうです。

また、この地震で火事も出ている様です。


被害に遭われた方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

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体育着の下に肌着を着させない小学校

タイトルの様な学校が、未だにあるのか。

いつの時代の話か。


今朝のテレビで上がっていた話題です。


怒りが込み上げました。


体育着に着替える時に、肌着を着けさせないというのです。

理由は?

肌の鍛錬。

はっ?


この事実を娘さんから聞かされた母親が、学校に抗議し、その娘さんは肌着の着用が認められたそうです。

・・・認めるって何?


男性教師が目視で、肌着を着けていない女子児童の胸を確認し、って、気色悪さしか伝わってきません。


てんしょうも娘2人を持つ身。

デリケートな事なのですが、プリプリ姉妹が低学年の頃から、プライベートゾーンの話をしてきたてんしょうにとって、ただただ、怒りしかありませんでした。


勇気を持って、母親に " 肌着を着用をしていなくて恥ずかしい " と伝えた娘さんの心を思うと、胸が苦しくなります。


てんしょうも経験した事なので、余計に怒りを感じます。


てんしょうの場合は、学校に、体育着の下に肌着を着けてはいけないというルールはなかったのですが、胸が発達してきた頃、そういった事に意識がなかったてんしょうの胸を、平気で触ってきた男性教師がいました。
( 当時、ブラジャーを着けている女子が少なかった様な覚えがあります。てんしょうも着けていませんでした。)

恥ずかしさと屈辱な思いは、今でも忘れられません。

当時のその男性教師は、40歳を超えていたと思います。

卒業をして数年で、糖尿病か何かの成人病で亡くなったと聞きました。

亡くなるには早い歳ですが、バチが当たったのだと思いました。



プリプリ姉妹には、小学中学年の頃から、子ども用のブラを着用させる様になりました。

今は、割と低学年から着用できるものが多く揃っています。

そして周りにも、少しずつ着用している子が出てきていたと思います。


が、ある日、プリ江がクラスメートの女子に、"ブラなんて着けてる " とニヤニヤしながら言われたと、辛そうな顔をしていました。


夏の薄着の頃、胸が目立ってきていても、肌着を着ていないのが分かってしまう様な女の子を見つけると、側にいる母親は自分の娘の身体の変化に気付かないのか?と思ってしまい、その女の子が気の毒になります。

実際、すれ違う男性の視線が、そういった女の子に向いていた事に、その男性と女の子の母親に対し、嫌悪感を抱きました。



幼い子どもに対する性犯罪が無くならない世の中。

いつまでも時代遅れな考えの学校。



怒りに任せて書いてしまい、申し訳ありませんでした。

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東日本大震災から10年経ちました

3.11から10年という年月が経ちました。


ここにきて、また毎日の様に地震があります。

( 過去記事 2021.2.14  東日本大地震の余震  http://tensyow.com/archives/25117737.html をご覧くださいませ。)


10年前の地震直後、電気もガスも水道も使えなくなり、店という店から物が無くなりました。

子ども達にひもじい思いをさせたくないと、毎日の様に街を彷徨い、スーパーの長い列に何時間も並んだりしましたが、買いたいと思う物はほとんど無く、買える物にも数の制限がありました。


当時の事を教訓に、水やレトルトなど食料の備蓄、懐中電灯やカセットコンロなどの防災用品を備えています。


10年前のあの日は、一生忘れられないものとなりました。

また、忘れてはならないと思います。


未だ、津波にさらわれ行方不明の方々が大勢いらっしゃいます。

てんしょう家族も、津波にさらわれていたかもしれない身でした。


神様が救ってくださったこの命。

天寿全うするまでは、感謝を忘れず、日々を大切に生きていきたいと、改めて思います。



震災により命を失われた方々のご冥福と、被災地の更なる復興を心よりお祈りいたします。

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てんしょうの前世の命日 〜 先祖供養は 自分供養 〜

今日3月1日は、てんしょうの前世だったマサノリの祥月命日です。


マサノリは、てんしょうの祖父にもあたります。

てんしょうが幼い頃より、マサノリの長女にあたる母ヨキから、祖父マサノリの話を聞いていました。

マサノリは、ヨキが7才の頃に、第二次世界大戦で戦死をしております。

乗っていた艦船が撃沈され、マサノリの遺骨は深い海の底に眠っているのです。


てんしょうは、幼い頃から泳ぎが苦手でした。

水に顔を付ける事はできても、水中で目を開ける事に恐怖を覚えていました。

海水浴に行った時も、浅瀬では大丈夫なのですが、足が付かない所は、浮き輪であっても怖くて行けませんでした。

身体が震える程の恐怖を感じるのです。


てんしょうの前世マサノリの亡くなり方を知って、納得しました。


撃沈された艦船から海へ放り出されたか、そのまま艦船と一緒に海底へ沈んでいったかしたマサノリは、魂にその時の恐怖を刻んでしまったのだと思います。



皆さまには、何故か分からないけども、苦手とするものはございませんか?

もしかすると、てんしょうの様に、前世が関わっている事かもしれません。


自分の先祖が、自分の前世だったという事は、なかなか分からないにしろ、あり得る事だと思います。


そういった意味でも、ご先祖供養は大切だと思います。

ある意味、自分供養、自分の魂の供養になるのです。



てんしょうの祖父マサノリのお墓は、遠方の実家の方にありますので、お墓参りは叶いませんが、今日の晴れ渡る空に向かって手を合わせ、供養したいと思います。

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東日本大震災の 余震

昨夜11時8分、最大震度6強の地震がありました。



てんしょうの住む、この仙台の地も激しい揺れに襲われました。


10年前の悪夢が蘇ってしまいました。


当時のプリ子は4才、プリ江は3才になったばかり。

幼い2人は、ローテーブルの下に並んで潜って、怯えていました。

「 じちん、こわい・・・」


( ↓10年前の地震の事も過去記事にございます。)

タロットカード と 3.11
http://tensyow.com/archives/4094566.html

3.11 津波
http://tensyow.com/archives/4096876.html

震度 7 と 神様
http://tensyow.com/archives/4114241.html



けれど、あの大地震から10年を経た昨夜のプリプリ姉妹は違いました。



地震発生時、寝室で寝ていたてんしょうは、「 神様!」と叫んでいました。

そして、プリプリ姉妹それぞれの勉強部屋へ、名前を呼びながら向かいました。

幸いにも、この地域は停電は起こりませんでした。

廊下には、置いてあった折り畳み自転車が倒れていました。


プリプリ姉妹、勉強部屋にはいませんでした。



居間へ行くと、ダイニングテーブルの下に、2人抱き合って潜っていました。

部屋を見渡すと、本棚の扉が壊れ落ちて、写真立てなどが散乱しておりました。


プリプリ姉妹、揺れがおさまったと分かると、すぐ様、リュックを持ってきて、貴重品やペットボトル、懐中電灯などを詰め出しました。

そして、パジャマから服に着替えていました。

この10年で、たくましく成長しておりました。


その間、てんしょうの携帯電話に、東京に赴任中のパパ夫から電話があり、安否確認と、お風呂に水をためる様に指示がありました。

支度の終わったプリ子達は、お風呂に水を入れたり、食料をリュックに詰めたりと、手分けをして行動しておりました。


てんしょうも、本棚や冷蔵庫の扉をテープで固定したり、防災グッズをカバンに入れながら、携帯電話に着信履歴のあった、てんしょうの弟タカへ電話し、無事を伝え、両親にも伝えてもらう様に話しました。

親戚からも、いくつか安否確認のメールが来ていたので、落ち着いてから返信をしました。


テキパキと行動していたプリプリ姉妹でしたが、プリ子は勉強部屋へ物を取りに行った時に、ひとり泣いていました。

「 怖かったね。頑張ったね。」と抱きしめると、静かに頷きました。


プリ江も気を張っていたのか、支度が終わると、吐き気におそわれていました。


気付いたら夜中の2時を回っていました。

いくつかの余震は来ていましたが、大きな揺れではなかったので、最悪、車に避難しようと思っていましたが、この時は3人、居間でかたまって寝る事にしました。


寝る前に、玄関から外へ、様子を見に出てみました。

ふと空を見上げると、声が聞こえてきました。


「 大丈夫にございます。てんしょうさんも、プリ子ちゃんプリ江ちゃんも、お守りしておりますよ。ご安心なさいな。」


月詠様のお優しいお声でした。

本当に心強く、涙が出ました。



外では10年前の様に、取材ヘリコプターの音や、近くにある踏切りが地震の揺れで誤作動を起こし、警告音が鳴り続け、それは朝方まで鳴り響いていました。






今回の地震でも、多くの被害が出ている様です。

皆さまの地域はいかがでしょうか。

まだまだ余震が来るそうで、コロナ禍でもある為、不安な事が多くありますが、皆さまどうぞ、お気を付けてお過ごしくださいませ。


皆さまのご無事をお祈りいたします。

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