思い出

☆ ☆ ☆ てんしょうと申します。 うちの二人姉妹がきっかけで、天の声が聞こえる様になりました。 このブログを立ち上げたのも、天の声の後押しがあったからです。 天の声とてんしょう、プリプリ姉妹の、スピリチュアルな日々の出来事を綴っていきたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いいたします(*^-^*)☆ ☆ ☆  

ネコのみーちゃん

昨日の記事に出てきました、てんしょうが8才の頃飼っていた、6匹の子ネコを産んだネコのお話です。


名前をみーちゃんと言うのですが、みーちゃんは野良ネコでした。

可哀想に思い、家で飼うことになりました。


みーちゃんはそれを喜んだのか、そのお礼として狩り立てのネズミさんを玄関前に置いたり、大きな魚の頭の部分をエッコラと運んできたり、それはそれは、いつも家族を驚かせてくれていました。




まだ肌寒い春のはじめ、コタツに入ってテレビを見ていると、コタツの中にいたみーちゃんが黒いウンティーをしていました。

てんしょうは母ヨキに、" お母さーん!みーちゃんがコタツでウンティーしたー!" と伝えると、みーちゃんは外に出されました。

外に出されたみーちゃんは、前足でドアをガリガリと引っかいて、激しく鳴きながら何かを訴えていましたが、すぐに静かになりました。

母ヨキは、みーちゃんのしてしまったウンティーの始末をしようと、手にした新聞紙でブツを掴もうとしました。

すると、そのブツがモゾっと動きました。


「 みーちゃん、赤ちゃん産んでた。

可哀想な事をしてしまった。

1匹ではないはずだから、何処かで産んでるかもしれない。」


母ヨキは、そう言うと外へ探しに出ましたが、既に何処かに行ってしまった後でした。


" 何か太ったねー " と言われていたみーちゃんのお腹には、赤ちゃんがいたのです。


幼いてんしょうによって、ウンティーに間違えられた可哀想なその黒い子ネコは、母ヨキの手厚い世話により、何とか生きていました。



数日後、ネコの鳴き声で玄関のドアを開けると、みーちゃんが子ネコを1匹連れて帰ってきていました。

その子ネコを口にくわえて部屋に入り、最初に出産していたコタツまで運び、すぐに玄関から出ていきました。

様子を見ていると、道路を挟んだ向かいの家の縁の下に入って行くのが見えました。

しばらくすると、また1匹口にくわえて出てきて、玄関から入りコタツまで運びます。

これを5回繰り返していました。



みーちゃんは、出産中に追い出されたにもかかわらず、てんしょうを恨みもせず、てんしょうの家で子育てする事を選んだのでした。


すぐにダンボールの底に毛布を敷いたおうちを用意して、長男の黒ネコちゃんも一緒に6匹をそっと並べました。


その様子を静かに見守るみーちゃんは、すっかりお母さんの顔になっていました。



その後、昨日の記事に書きました通り、デンタ先生が引き取ってくださった2匹を含めた5匹は、それぞれのおうちで幸せに暮らしました。


みーちゃんは、残された1匹の息子ネコちゃん " チビ " をとても可愛がりました。

チビちゃんが粗相をすると ( 床にウンティーをしてしまう ) 、怒られる前にそのブツをパクっと食べてしまいました。

チビちゃんが悪さをした時に叱ろうとすると、前に立ちふさがって、チビちゃんをかばったりしました。


涙ぐましい程の愛情を持った母ネコでした。





何年かするとみーちゃんは、1匹の愛しい我が子 チビちゃんを残して、何処かに旅立っていきました。


ネコというものは自分の死期を悟ると、人知れずその身を隠し、生き絶えていくのだそうです。



てんしょうの家に来た時は、既に成猫でしたので、結構な年月を生きたのかもしれません。


そのあとを追う様に、チビちゃんも交通事故でお空に上がっていきました。



みーちゃんとチビちゃんは、それからの40数年の内に、何度か生まれ変わっていたそうです。( 神様 談 )



ネコであるみーちゃんでしたが、今思えばその生き方は、人間であり母親であるてんしょうが見習うべき事が多くありました。



人を心から信頼し、恩を忘れず、子に対する深い愛情を持った母ネコみーちゃんは、てんしょうにとって、人生における良き先輩でもあったのでした。

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小2の時の担任の先生

てんしょうが小学2年生の時の担任の先生は、当時40代の男性の方でした。


下のお名前が デンタさん と仰り、てんしょう達は " デンタ先生 " とお呼びして、子ども達からはとても慕われておられました。

よく、授業で紙芝居をしてくださり、老若男女の声色を使い分け、いろんな工夫をされたりして、子ども達は紙芝居の世界に引き込まれていきました。( 女の人の声色で語り出すと、教室中に笑い声が響いていました。)

40年以上前の事なので、授業を受けている場面ははっきりと思い出せないのですが、紙芝居の時の先生の様子は、今も色褪せずに思い出せます。



当時のある時、そのデンタ先生が、突然てんしょうの家に来られました。

その時のてんしょうは、塾か何かに出掛けており家にはおらず、祖母アサが玄関に出て対応しました。


デンタ先生は、祖母アサにこう仰いました。


「 てんしょうさんの担任の〇〇と申します。

てんしょうさんから " ネコが生まれたから、飼ってくれる人を探している " とお聞きして、私にも引き取らせていただきたいと思い参りました。」


祖母アサは、担任の先生の突然の訪問と、その理由に驚いたそうですが、それはそれは、と子ネコを出して見せました。

その頃飼っていたネコが6匹の子ネコを産んで、3匹は引き取られ、残りのうちの1匹は飼うことにしたのですが、あと2匹の引き取り手が見つからずに困っていたのでした。

デンタ先生は、祖母アサからそういった事情を聞くと、何の躊躇もなく2匹を引き取っていかれました。


その後、2匹のネコはデンタ先生とそのご家族の方にとても大切に飼われ、"1匹は海苔の佃煮が好きで、もう1匹は野菜が好きだ " と仰っておられました。



通信簿の担任コメント欄には、てんしょうの事を " 普段おとなしいですが、ユニークな面があります " とあり、てんしょうの個性を引っ張り出してくださった先生でした。

幼いてんしょうは、" ユニーク " の意味が分からず、祖母アサに聞きその意味を知り、嬉しい様な恥ずかしい様な、不思議な気持ちでした。
( ここで言うユニークは、面白いという意味で使われています。)



また、間違った事、悪い事をすると、ものすごく恐い先生でもありました。

良い事は良い、悪い事は悪いとハッキリ教えてくださっていたので、イジメなどもありませんでした。





月日が経ち、てんしょうが社会人になったばかりの頃、ふと懐かしくなり、デンタ先生にお手紙を書いた事がありました。

当時の先生との懐かしい思い出や、引き取っていただいたネコの事、近況などを書きましたが、心では " 15年以上も経ってるし、何百人もいる教え子の一人だから、お忘れかもしれないな " と思っておりました。


それから1週間程すると、1通の手紙がてんしょう宛に届きました。

差出人はデンタ先生でした。


お手紙には " 現在は65才で教員は引退したが、子ども達にラグビーを教えている事、てんしょうの事はネコの件で思い出した事 " などが書かれており、教え子からの手紙が嬉しかったとの事でした。


先生がお元気でいらっしゃった事が嬉しく、また、てんしょうの手紙を喜んでくださった事を知り、気持ちは小2の頃の幼いてんしょうに戻っておりました。


身体が弱く、小学1年生までよく学校を休んでいたてんしょうでしたが、デンタ先生が担任の先生になられた事で、学校に通う事が楽しくなり、心も身体も元気になって、学校を休む事も減っていきました。



スピな話になりますが、生まれて間もなく、てんしょうの中に入り込んできた悪しき者達により ( 過去記事 2017.11.6 〜 2017.11.10 " てんしょうの中にいた者達 1〜 その後 " をご覧くださいませ。) 、病弱だったてんしょうでしたが、デンタ先生という魂のお強い方が接してくださったおかげで、心身共に持ち直す事ができたと言っても過言ではありません。

そういった意味でも、デンタ先生は恩師であり、命の恩人でもあるのです。



ご存命でしたら90才を超えられていると思われますデンタ先生。


50才を過ぎたてんしょうですが、今も8才の時の気持ちで、デンタ先生を思い出します。

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利き酒大会

てんしょうが20代前半の頃のお話です。



当時てんしょうは、5〜6才位年上の人達とよくお酒を呑んでいました。

その人達とは、お酒だけでなく、アウトドアで遊んだりもしていました。

夏はキャンプやバーベキューをしたり、冬はスキーをしたり。

春山へ、ヘリに乗って山頂まで行き、雪でシャンパンを冷やして皆でカンパイし、ホロ酔いになってスキーで麓まで下りてきたり。( バブリー //// )




ある夏の日。

バーベキューに誘われて、友人の車で川へ行きました。

その川には、3〜4人の子どもを含めた総勢20人ほどが集まり、バーベキューの他、川の中に竹を割った樋を何メートルも渡し、流しそうめんをしたりして、楽しく過ごしていました。


そんな中、日本酒を8種類ほど持ってきた人がいて、その人の案で利き酒大会が始まりました。

銘柄当てではなく、その8種類の日本酒を、1種類につき2カップ、計16カップに注いで、それぞれ番号をふった8カップと、アルファベットをふった8カップをテイスティングし、どの番号の酒が、どのアルファベットの酒と同じかを当てるルールで行いました。

例えば "  ① とBのカップが同じ種類 " という具合に、紙に書いてある①から⑧の番号の下にアルファベットを書き、あらかじめ答えを知らされている子ども達が、その場で答え合わせをしました。


来ていた大人10人程が参加しました。

もちろん、てんしょうも含みます。

一人一人、神妙な顔でテイスティングするのですが、途中で分からなくなり、やけになってただ呑んでるだけの人もいました。


最後にてんしょうの番が回ってきました。

それまで、パーフェクトは誰もいません。

答えを知っている子ども達は、最後のてんしょうを神妙な面持ちでジーっと見てきます。


てんしょうは、既にビールを結構呑んでいた為、パーフェクトは無理だろうと思いながら、ひとカップずつ、口に含んでいきました。


すると、意外にもお酒の味の違いがはっきりと分かりました。

" これは、いけるかな?" と思いながら、最後なので、ゆっくりと味わいながらテイスティングしていましたが、最後に呑んだ物と、半ばに呑んだ物との区別が分からなくなってしまいました。

" むむっ?" と思いながら、一度書いたものを消して、直感に従ってアルファベットを入れ替えると、答え合わせをしていた子ども達が叫びました。

「 全部、正解!!」

「 おぉー!」

と拍手がわき起こりました。

そして、この日の会費がタダになりました。



この時の事を天の声に話していると・・・。

「 最後の書き換えをてんしょうさんにお伝えしておられた神様がいらっしゃいましたよ。」

との事。


てんしょうの直感だったと思っていたものは、神様がお伝えくださったものでした。

酔っ払いのてんしょうが、お酒の味の利き比べをできたのも、神様がお力を貸してくださっていたからでした。

日本の神様は皆、日本酒が大の好物で、てんしょうの利き酒の時も、その神様はノリノリだったそうです。
( そういえば、神棚のお供え物も日本酒ですね。)



" それはそうだなー。

20歳を数年過ぎた位のてんしょうが、日本酒の味なんて分かるはずないよなー。" 




テレビでキャンプの場面が出てきて思い出した、てんしょう若かりし頃の、懐かしい思い出話でした。

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悪徳商法  〜 パパ夫の場合 〜

一昨日の記事を読み返していて、思い出した事がありました。

パパ夫と結婚したばかりの頃に、パパ夫から聞いた話です。



パパ夫が20歳くらいの頃、街を歩いていたら、見知らぬ男性に話しかけられました。

当時学生で、その時はヒマだった為、男性に言われるがままについて行きました。

着いた場所は事務所の様な所で、奥へと案内されると、狭い会議室の様な窓のない部屋に、お年を召した女性や当時のパパ夫くらいの若い男性など、大勢の人達がイスに座って、その時を待っていました。


しばらくすると、その狭い会場に中年の男性が入ってきました。

すると、大きな拍手がわき起こりました。

その中年の男性は、饒舌に語り出しました。


男性の前には布団が一枚置いてあり、その布団がいかに良い物かという力説を始めました。

会場にいる人達の表情はみるみる高揚していったそうです。


その力説も佳境に入っていきました。

「 なんとこの高級羽毛布団、50年も使えて、50万円!」


拍手のわき起こる異様な雰囲気の会場に、一人の男性の叫び声が響きました。


「 同じ布団に50年も寝かせる気かー!!⚓︎ 」


会場はシーンとなり、その場にいた大勢の人達は固まりました。


叫んだ男性は、パパ夫でした。


饒舌に、そして強気に力説していた中年の男性も固まり、叫ぶパパ夫はその会場にいたスタッフに  " お願いですから、お帰りください。" と懇願され、狭い会場の一つしかないドアから追い出されたそうです。






また、社会人になってからの話では、宗教の勧誘にあったという事でした。


休日、一人歩いていると、若い二人組みの男性に話しかけられました。

" 何とかという宗教の、何とかサマの教えは素晴らしく、あなたの人生がどーのこーの、救う為にどーのこーの・・・ " とお目目をキラキラさせながら、とうとうと語っていたそうです。


それを聞いたパパ夫は・・・。

「 君の話を聞いていると、その素晴らしさがよーく伝わってくる。

それは君の立派な才能だ。

君が営業の仕事をすれば、必ず良い成績をおさめ、会社でもトップになれるだろう。

いやぁ、君の様な人材なら、すぐにでも優良な企業に採用されるんだろうなあ。」


パパ夫の話を聞いた青年のお目目は、さらにキラキラ度が増していったそうです。


その青年は、自分の歩むべき人生を見たのでしょう。

パパ夫を救おうと思っていたら、逆に救われた瞬間でした。





この二つのパパ夫話に、てんしょう、大笑いしてしまいました。


そして、パパ夫のその精神を見習おうと思い、ますますパパ夫に惚れてしまったてんしょうでした。



↓こんなパパ夫ですが・・・f^_^;

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ネコのマイ

てんしょうが二十歳の頃、実家ではネコを飼っていました。



母ヨキが庭いじりをしている時、ふと庭の隅を見ると、タワシが一つ落ちていました。

何でこんな所に?と思いつつ、タワシを拾おうとすると、グニャっという感触と、" ミャッ " という鳴き声にビックリし、尻もちをついてしまいました。


よく見ると、ドロにまみれた子ネコでした。


母ヨキは可哀想に思い、すぐ温かい湯で身体を洗うと、タワシの様なネコは、キレイなミケ猫になりました。

顔を見ると、片目のまぶたがくっついて開かない状態で、試しに人間の目薬をさしてみました。

ミルクを飲ませようと思い、皿に入れ、目の前に置いても飲みません。

それで、綿棒の先にミルクを染み込ませ、それを口に入れてやると、一生懸命に吸っていました。

お腹は空いていても、皿から飲めないくらい、小さなネコでした。

母と父はその夜、ネコが鳴くと交代で起きて、ミルクをやっていたそうです。



ミルクを飲ませ、目薬をさし、様子を見ること1週間、スッカリ元気になったネコは、てんしょう実家の家族になりました。

ネコは、両目がパッチリと開く様になり、毛並みも良くなり、母ヨキが付けた名前 " マイ " と呼ばれました。( 舞い込んできたから マイ だそうな。)



マイは家族に懐き、特に弟タカには恋する乙女の様な、まさに猫なで声ですり寄り、タカが学校から帰り玄関に入ると、待ってましたと言うように " ミャ〜オ♡ " とひと鳴きし、タカの持つカバンの上に飛び乗り、そのままタカの部屋へと入っていきました。


対てんしょうには、何故かライバル心を燃やし、冬、ストーブの前にいるマイの隣りに座ると、隣りに来るなと言わんばかりに猫キックや猫パンチを繰り出すので、てんしょうも負けずにマイを抱き上げ、ストーブから離れた部屋の隅に追いやったりして、面白がっていました。


ちくわが好きで、カケラをやると、両の前足でコロコロと転がし、転がし過ぎて冷蔵庫の下に入り込み、取れなくなって顔を洗って誤魔化したり、てんしょうにライバル心があるくせに、夜中てんしょう一人居間で本を読んでいると、ソーっと近づいてきて、気付くとヒザに座っていたり・・・。


てんしょうにとっては、小憎らしくも、可愛い妹の様な存在でした。



ある年のクリスマスイブの夜、いつもなら散歩に出て帰ってくると、玄関前に座り、" ミャ〜オ、ミャ〜オ ( 開けて、開けて ) " と呼ぶマイでしたが、一向に呼び声がしませんでした。

心配になった母ヨキは、帰ったらすぐにでも開けてやれる様にと、時々外を見に出たり、ずっと起きて待っていたそうです。

結局、その日は帰ってきませんでした。

母ヨキは泣いていました。

「 マイちゃんが帰ってこない。」



ずっと帰ってきませんでした。

マイは交通事故で亡くなっていたそうです。( 神様談 )



マイがいなくなって30数年、マイの魂は何度かこの世に生まれ変わっているそうです。


事故死でしたが、両親や弟タカの優しさに包まれていたマイは、すぐに生まれ変わる事ができたのだそうです。



動物を飼うという事は、命を預かるという事。


最期の時まで、愛情を持って、責任を持って飼う事で、動物達の魂は何度も生まれ変われるのです。

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